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特別寄稿 石井岳龍(映画監督)

何の為にそれが存在しているのか未だに定かではないが、人間は意識の奥に広大な無意識という領域を持つ。
そこに貯蔵されている現在の私を越えた原始からの命の記憶。
連綿と受け継がれた曖昧で混沌とした未分化な情報は、協調や分別が必要な日常生活には逆に邪魔になるが、時に夢や第六感などで何か大切なメッセージを送ってくる。
水の源が大地の奥で複雑に豊かに繋がっているように、無意識は血の繋がりを越えてどこかの奥で他者と繋がっていたとしても全然不思議ではない。
地下水脈を静かに豊かにたたえる洞窟のような暗闇と、その水面のスクリーンに展開する光と影である映画は、人間の無意識とその繋がりのドラマ、光と影を写し出すのに実にふさわしいメディアである。
 日本を代表する水の里、山崎で、不可思議な人と人の繋がりをめぐる映画がここに紡ぎだされた。
黙々と無意識の研究を続ける堀内正美、亡き妻と子への想いを偲び続ける津田寛治、受け継いだ旅館を守った先祖を慕い続ける結城市朗。
寡黙に耐えるように何かを守り続ける男達の姿に、渡辺シン監督の姿を重ねた。

コメント瀬々敬久(映画監督)
正直、人々の出会いが偶然過ぎるのに最初は乗り切れなかった。
だが、命や時間、歴史や人の一生というテーマが迫りあがってくるにつれ、その志にひどく心を揺さぶられた。
最後には凛とした映画の佇まいにのめり込んでいた。

 


監督ご挨拶渡辺シン(「水面のあかり」監督)

2012年の冬から2度、私は東北地方を訪れ、まだ復興の進まぬ被災地を目のあたりにしていました。
1995年の災害を肌で知る関西人は、東日本で起こった悲劇に他人事でない、皮膚感覚でのリアリティーを感じ取っていたかもしれません。
岩手県釜石市を訪れた時だったか、あるご婦人が私のもとにやってきて、彼女の夫がいかにして亡くなったか、を訥々と語り始めました。
「ごめんなさい、誰かに聞いて貰いたくて」と、やっとの笑顔で、そのご婦人は去っていきました。
その間、私には何も語るべき言葉がなく、何を私は語れなかったのか、を考えはじめました。

そして大阪に戻り、『水面のあかり』を構想しながら、自分自身も決して過去から自由でいられないことを知ることになります。
混乱する現代社会において、誰もが孤立し、戸惑い、また声をあげる事もできずにいます。
それはまるで水の中で溺れ、もがき、光射す水面を求めるかのようです。
あのご婦人は、どこにでもいる私たち自身ではなかっただろうか。
その時、私の脳裏に、川の対岸に佇む一人の女性の姿が浮かんできました。

映画『水面のあかり』はまるで人生そのもののような過程を経、得難い仲間に支えられ、ここにようやく誕生しました。
それはしかし、私自身が、水面に微かな光を見つけた瞬間でもあったのです。

・解 説
「自分はどこから来て、どこへ行くのか?」
誰もが子供の頃、一度は自問したことがあるのではでしょうか。
この激動の時代に於いて、疲弊し、過去に心の安息を求める人々が増えています。
私たちは過去に何を見るのでしょうか。輝く未来か、振り返りたくない暗闇か。
過去を知る事で、現在は変わりえるのか?また、未来はどうか?
そうした人間の心理に目を向け、「もし、自分の前世を知ってしまったら?」という大胆なアイデアを着想。
私たちは主人公・あかりの目を通し、初秋の京都山崎へと心の旅に出ます。
(2017年 4k→HD 70分)

・あらすじ
医療誌の記者、森下あかりは取材先の大学で、心理学者の松本教授から退行催眠療法を受ける。
その中で思いがけず、桃山時代の娘だった前世の記憶が蘇ってしまう。
それが真実なのかどうか確かめるため、ひとり京都・山崎を訪れるあかり。
歴史資料館の職員、早川の協力を得、遠い過去の記憶へと分け入っていく。
それは同時に、現在の自分と向き合う旅でもあった。

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